ジョジョジョ・メモリーズ

ジョーカーズと戯れる紙のオタクの日記

「不動遊星」になろうとした奴が5D‘sを完走した話〜Shin・Log〜

どうもShinです。

今回はゆるゆるとした感想ブログ。遊戯王5D‘sのBSテレ東再放送が終わったのでそれに付いてちまちまと書ければなと思っています。

肩の力を抜いた文章を書けると良いという最近の流行(?)に乗って全体的にふんわりしてるので気が向いたら読んでもらえれば嬉しいです。

 

・視聴前の「不動遊星」観

作中でもそうなんですが、本作主人公である不動遊星は何かと「英雄」として崇められている存在です。

チーム5D‘sのリーダーとして、シティとサテライトという境界に隔てられた住民を真の意味で繋いだ人物。

圧倒的なカリスマを持ち、常に他者の為にデュエルを続けてきた彼。

「人と人を繋ぐ遊星粒子のような存在であれ」という父親のある種呪いのような名前。

更にはその父親の起こした事故により仲間を始めとする多くの人々の幸せを奪ってしまったという重圧。

なんというか、遊星は「世界」というデッキにフィニッシャー兼初動兼受け札みたいに搭載されたカードというか強く「役目」を持たされて生きてる人物だなと視聴を終えた今でも思います。

僕の中での遊戯王5D‘sの事前知識は作中におけるゲームの大まかなルールと作中世界観、それに加えて不動遊星の詳細なデータでした。

 

だって不動遊星って、めちゃくちゃかっこよくないですか?

優しくて強くて賢くて仲間がいる。おまけにどうやら世界を何度も救って未来に向かうらしい。

存在を初めて知ったのは中学時代だった訳ですが、その時には既に僕の中でも「英雄」だったんです。

 

中学生当時にデュエマの隣にあったブックオフの30円ストレージとシンクロンエクストリームだけで遊星の「ジャンクデッキ」をイメージしたデッキを組みました。

繰り返しますが本編視聴前です。でもデータだけから伺える人間性にめちゃくちゃ惚れ込んだんです。

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今見るとシューティング・クェーサー・ドラゴンがないのが本当に面白い。

そんなこんなで遊戯王5D‘sの再放送が始まりました。

 

 

・視聴中の感想

「いや治安わっる」というのが第一印象。

「治安維持局」とかいう国営ヤクザによってサテライトの住民は隔離された挙句ボロ雑巾のように労働に従事させられ、犯罪を起こせばマーカーを入れられて女子供だろうがリンチを受ける。あと命より大切なデッキを奪われたりする。

前半の治安最悪時期を抜けて、WRGPぐらいからはなんか程よい明るさになるんですけどそれでも泥臭い世界だな〜という印象が。

泥臭さとはまたちょっと違いますがデュエル中にちょくちょくバイクの駆動音がするのが本当に好きですね…5D‘s視聴後はライディングデュエルしてないと違和感を感じるようになるらしいんですが、個人的には見た目よりも音がしないことに違和感を覚えそうです。

遊戯王の醍醐味はデュエルな訳ですがチームユニコーン戦とかは本当に好きですね。カードゲームやってるとああいう流れるような戦略とか、チームで戦うこととかの意味とかを考える上でもすごい印象深い回でした。

ネットのネタ部分がちょいちょい見える(元ジャックとか本当に面白かった)のも見てて好きだったんですけど、プラシドだけは何度も見たのでいざ3週ぐらいかけて真面目にデュエルされると「どうしてDホイールから分離しないんだ……」と思って見てました。

 

・Z-ONEについてと視聴後の「不動遊星」観

遊戯王シリーズの伝統である「もう1人の自分がラスボスである」という展開。

遊星は人格が増えたり闇堕ちしたりといったことはしませんでしたが、代わりに「不動遊星という英雄」を自分に降ろしたZ-ONEという存在と戦うことになりました。

肉体を改造し、アクセルシンクロを身につけ「皆を導く者」となったZONE遊星。(対峙したZ-ONE本人というよりかは“不動遊星を降ろした姿“を示す為の暫定的な呼称です)

ここまでの本編を見ていると分かる通り「導く」ことは不動遊星が成した「結果」であって、「手段」ではないんですよね。

後世の記録だけを元に見た遊星って多分とんでもない英雄なんですけど、実際はそうではなくて。

ジャックとの和解を経て、アキの心を開き、鬼柳を絆で救い、ゴドウィンの本心も絆の中で受け止め、ブルーノとの別れによって「救うこと・守ること」の真の意味を悟り、共に戦った「仲間の力」を合わせることで、限界を超えたリミットオーバーアクセルシンクロに辿り着く。

記録に残った「不動遊星」はおそらくその1人の力で未来を切り開いた存在と映るのかもしれませんが、実際の不動遊星は1人では決してなかったんですよね。

もちろんZ-ONEの刺客であったブルーノもといアンチノミーの介入による部分が大きいですし、彼の存在がなければ決してZONEを救う結論には至れません。皮肉なことに、Z-ONEを打ち負かしたのは二つの意味での「仲間の力」だった訳です。

 

僕は崩れていく道路で手を伸ばしても助けを求める「仲間」を助けられなかったZONE遊星の叫ぶ「皆!」が特に印象的なんですが、ZONE遊星は仮にこの時救えなかった「仲間」の名前を1人でも呼べたのでしょうか。助けを求めていた市民達は「不動遊星」ではないZ-ONEの本当の名前を知っていたのでしょうか。ZONE遊星が誰1人として個人名を口にしないところが、本物の遊星との違いに感じます。

 

正史の遊星であればこの局面で絶対に“名前“を呼びます。例え他に助けられなかった仲間がいたとしても、目の前で助けを求めた仲間の“名前“を呼ぶんです。デュエル中は「アンチノミー」と呼んでいたブルーノを最後には名前で呼んだように。

正史での彼の言う“仲間“と彼はちゃんと1人1人と向き合っているし、シンクロしているんですよね。その証が赤き竜の痣だった訳ですし、「離れていても繋がっていられる」としたところで役目を終えて消えていきました。

 

Z-ONEの目指した「正しい心を持つ人々を自分が導く」という構図は遊星という英雄が成した「結果」だけを模倣した紛い物でした。

本物の遊星がZONEにその望みを託された上で、人々が正しい心を持って歩む、という未来の達成の鍵となった人物がイェーガーというのも非常に好きなポイントです。

イェーガーってゴドウィンの「キング」(これも英雄の偶像化でありトップになる者が他者に影響を及ぼす図)の作成に加担し、ゴドウィンなき後も治安維持局の権力にしがみつき続けて家族を守る為にイリアステルに付き従い、と「人間のマイナスの感情」が行動原理であることの多いシティ住民の象徴みたいな人物なんですよね。序盤はずっとサテライト生まれをバカにし、最終盤までずっと強い物に巻かれて自分の保身と利益が最優先。

アーククレイドルの決戦を経て彼が変化したことが、誰か1人が導くのではなく互いに同調し合うことで世界を良くしていくという新たな未来の象徴ですし、「治安維持局長官」から「市長」となる彼の姿こそが人が“変わる“ことの象徴でもあるな〜と思います。

最終決戦以降の回で一番好きな描写は牛尾さんと遊星に戻ってくるところところはもちろんなんですがそれ以上に「イェーガー市長と不動チーフの会話」だったりします。

 

・終わりに

きっちり視聴した上で思ったのは「俺の中での『不動遊星』ってZ-ONE的な遊星観だったんだな〜」というのが一番強かったですね…

皆のため、仲間のため、どんな逆境にも打ち勝ち全てを1人で成し遂げる英雄という見方で遊星に憧れていたあの日から随分と経ちましたが、こうして完走した上で一人一人が変われた、最後の遊星が叫ぶ「皆」のうちの1人になれたのかなぁ…と思いを馳せながらこの感想を締めくくりたいと思います。

 

(記事)ライティングデュエル・アクセラレーション!!